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【艦これ】ノーベル賞受者が佐世保の船の部品を作っていたらしい!!【ノーベル賞】


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1:2014/10/07(火)20:52:13 ID:
ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・名城大終身教授(85)は
2011年11月21日掲載の毎日新聞朝刊で自身の根底に
「理系を選んだのも(戦争からの)復興に役立つことができるのではと考えたからです。
根底には戦争体験がある」と語っていた。記事全文を再掲する。

◇学校と私:精神の根底には戦争体験がある=名城大教授、赤崎勇さん

1942(昭和17)年、旧制の鹿児島県立第二中学に入学しました。
2年生から食料増産のため農村で手伝ったり、軍事教練をやりました。
少年だったのでよく分かりませんでしたが、敗色が徐々に濃くなっていたのですね。
家から中学へ通う途中に後に進学する第七高等学校があり、帰りに立ち寄り、
クローバーが散ったグラウンドによく寝転んでいました。
戦争で切迫した時代だったはずなのに気持ちが和みました。リベラルな雰囲気を感じていました。

4年生になると戦争はますます激しくなり、4月1日、県内の中学生全員が県庁前に集められました。
両親たちも参列し、中学生は水杯を交わし佐世保の海軍工廠に強制的に学徒動員に行かされました。
今度いつ会えるか分からなかった。

佐世保では特攻の船の部品を作っていました。仕事が済んで士官に報告に行くと、
彼らが「戦艦大和が撃沈されたらしい」などと話していて、そんな情報は全く公になっていなかった。
無駄な戦をしていると思いながらも、お国のために役立たなくてはと葛藤しましたが、
そんなことをゆっくり考える暇もない厳しい生活でした。

45年6月の鹿児島の大空襲も経験しました。焼け出されて逃げ回り、
だから戦争が終わった時、何とも言えない解放感を味わいました。
戦争は最大の罪です。絶対にやっていけないもの。
中学時代にまともに授業に出られず、知的好奇心を満たすことができなかった私は、
気づかぬうちにハングリーさを培っていたようです。

焼け跡から立ち直らなくてはと、がむしゃらな気持ちが生まれました。
理系を選んだのも復興に役立つことができるのではと考えたからです。
今までなかった新しいことをしたい。そんな思いで仕事を続けてきました。
私の精神の根底には戦争体験があると思います。

ソース:毎日新聞
http://mainichi.jp/feature/news/20141007mog00m040025000c.html
 
2:2014/10/07(火)22:36:33 ID:
芯の強い人だ
3:2014/10/07(火)22:38:03 ID:
昔の人は、すごいなぁw
4:2014/10/08(水)07:58:53 ID:
終戦後の修羅の国、占領された日本を生き抜いただけに
ハングリーさではかなわないな。
多くの日本人は闇米とか、いろいろ非合法なものに
手を出さないと死あるのみだもの。
5:2014/10/08(水)08:00:30 ID:
ハングリーさがほしい


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